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第1356話 〜2007/10/4〜

■ライカ判

 デジタルカメラの普及に伴い、もうアナログ写真には戻れない感じの私である。いろいろと雰囲気や持ち味でアナログ写真を支持する人々がいるのは確かだが、それはかつてのCDかアナログレコードかといった話に近い。市場の多数は新しい技術の方を支持している。デジタルカメラは何よりもその手軽さが良い。自宅でプリントアウトできるし、それも数枚撮っただけでも可能。これがフィルムとなると1本撮り終わり、現像から戻ってくるまでその画像を拝むことができない。

 ついにライカもM8でデジタルカメラになったときには驚いた。しかしこれが時代の趨勢なのだ。というわけで、このM8が欲しい。けど、50数万円のボディにレンズまで買うことなど到底できない。こんな感じで私のようにデジタルのレンジファインダーカメラを欲しがっている人は結構いるのではないかと思うが、そのようなカメラは現在2機種しかなく、その1つがライカM8だ。もう一方はエプソンの国産機だが、やはりそれなりに値段が高い。

 一眼レフやレンジファインダーカメラはレンズ交換ができるのが魅力であって、ライカでは互換品なども含めて、古今東西数多くのレンズが今でも使用できる。しかし、1つ大きく困った点がある。デジカメの場合、受光部がフィルムサイズに比べると小さいため、同じレンズを使用したにしても、画角が狭く、焦点距離が長いレンズ、すなわち望遠レンズで撮った様になる。一般的にレンジファインダーカメラは広角を得意として、広角レンズを使用するケースが多いが、同じレンズが標準レンズぐらいになり、同じレンズとしての持ち味が生かせない。これはちょっと(いや、大いに)困ってしまう。

 一眼レフの場合もほとんど同様。確かにフィルムサイズと同じ受光部サイズを持った一眼レフカメラはあるが、結構高い。アナログからデジタルに移行するにあたって、これまでのレンズがこれまでと同じ条件でそのまま使用できるのが望ましいがそうではない。ライカは高いなりに、M8ではそこまでの対応をして欲しかった。アナログカメラの35ミリフィルム1コマのサイズはその元祖にあやかって、「ライカ判」なんて呼び方が残っている。デジカメでもそのまま「ライカ判」であって欲しかった。

(秀)


第1357話 〜2007/10/5〜

■−6%どころか

 地球温暖化対策として、日本は京都議定書で温室効果ガスの6%を削減することを約束しているが、実際にはこの間に8%増えてしまったらしい。6万円借金を返さなければならないところ、逆に8万円借金してしまった。6キロダイエットするはずが、逆に8キロ太ってしまった。こんなたとえは果たして的確か?。

 やはりこの推進キャンペーンがまずいと思う。具体的な数値目標は提示されており、例えば夏の冷房は28度以上にしましょう、とか、シャワーを1分間少なくしましょう、とか言われているが、その効果の貢献具合がイメージできない。例えば、レジ袋1枚を断ると、61グラムの二酸化炭素を削減できるらしいが、その61グラムの削減が全体の目標にどれぐらい影響があるのか、国民全員が1年間実行すればどれぐらいの効果になるのかが分からない。そもそも61グラムの二酸化炭素の量というのがイメージできない。

 そして、6%削減を前提として我々は今の生活をどのように変えていく必要があるのかを示して欲しい。もし、これらが既に示されているとしても国民の大部分が知らない状態では、示されていないのと同じだ。例えば、割り箸を使用しないことがどれだけ効果があるか、自動車をハイブリッド車にするとどうか、太陽光発電を利用するとどうか、オール電化にするとどうか、家庭用生ごみ処理機の効果はどうか、などを具体的に示して欲しい。

 しかし、結局これらが上手くいかないことの根本は大企業の利害だと思う。いくら電力会社や石油会社、自動車会社が地球環境に対する働きかけをしたところで、結局は私企業として、利潤の追及を掲げていることに変わりない。企業として年々成長していくことを前提に経営が行われており、経営規模を6%削減しても良いという会社など存在しない。電力会社においては「だったら、原子力発電が良いですよ」という口実を与えることにもなる。他の企業のほとんども地球環境に配慮はしていながらも、自社の売上や利益を犠牲にしてまでは貢献しようとは思わないはずだ。それなのに、冷房をどうしましょうとか、レジ袋を断りましょうと転嫁している。キャンペーン全体での具体的な計画が明らかにされないのは企業経営のタブーにさわってしまうからだろう。

 細かなアクションでもそれが温暖化対策の意識の喚起につながればそれはそれなりの意味があることだと思う。しかし、具体的な効果や貢献が分からないままでは、「私は地球環境に配慮しています」といった、単なる自己のエコ意識の自己満足で終わってしまうかもしれない。それと何より、企業がまず6%削減の効果を実現させる必要がある。いや、6%ではなかった、逆行した分を含め14%だ。レジ袋の削減なんかで満足していてはいけない。

(秀)


第1358話 〜2007/10/10〜

■DVDメディアの管理に困る

 DVDレコーダーを買ってから、レコーダーから録画したDVDのメディアがざっと400枚を超え、日々増殖し続けている。もはや、自分が持っている、CDやMD、書籍の比ではない。これらDVDはスカパーやWOWOWでの映画などを録画したもので、テレビドラマなどは含まれていない。いわゆる、保存版である。現在、これらをパソコンショップなどで売られている、ポケット式のCDファイルにて保管しているが、これが結構かさばる。都度買い足していくの、それぞれ違ったファイルで微妙にサイズも異なっていたりして、並べてみたところで収まりが良くない。多分こんな感じで、これからも増え続けていくことは間違いない。

 私は片付けることについて極めて無頓着である。ファイルに収まっているディスクにはプリンタでタイトルなどを印字しているが、保管のルールはいい加減である。確かにラベルは印刷するようにしたが、これがまた面倒な作業で、50枚くらいたまったところで、意を決して、えいや、と片付けるしかない。そして、シリーズものはまとめて同じファイルに順番に並べているがそれ以外は結構めちゃくちゃにファイルに入れており、いざ見たくなって探そうとすると、時間と手間が掛かる。友人に貸そうと思って探し出すときなど大変である。

 音楽CDのデータを集めるHDDコンポのように、DVDコンテンツをHDDに一括して保管することはできないだろうか?。やろうと思えば今の技術でも可能なことは可能であるが、使い勝手の面で問題が残る。そして何よりも私が気にしているのは、今後映像コンテンツはハイビジョン化が進み、データ量が大きくなることであり、メディアもDVDではなく、次世代DVDが主流になることだろう。それを見越してのHDDとなると、現在発売されている製品では心もとない。それにデータが大きくなれば、それだけHDDにデータを移す時間も余計に掛かる。

 ファイルではなく、プラスチックケースに入れて、背見出しを付け、本棚に並べた方が探し出すのは楽になるだろう。しかし、収納スペースのことを考えると現在のファイルの方に利がある。ビデオからDVDになって喜んだ理由の1つは、そのコンパクトさであったはずだ。これらのDVDの中にはついに見ることないものも出てくるだろう。定年後に暇ができたときにと思い、せっせと今はDVDを焼いている。定年までには何とか良い方法で問題が解決していることを期待して。そのとき、ディスクは何枚くらいになっているのだろうか?。

(秀)


第1359話 〜2007/10/15〜

■試し酒

 今日は先日聞いた、落語の話を一席。

 ある商人が供の下男を連れて、取引先の大店へ行った。すると、大店の主人が酒をすすめてくるが、自分は飲めない。しかし、連れの下男なら五升は飲むと言うと、「本当かどうか、試しにここで飲ませてみよう」と、大店の主人。早速、表で待っていた下男の久蔵を店に呼び入れた。久蔵は無粋で無骨な田舎者だ。

 大店の主人は久蔵が五升の酒を飲むと小遣いを出すと言う。久蔵は確かに大酒飲みだが、五升という量を聞いて思案する。「ちょっと、表に出て考えて良いですか?」と。しばらくの後、店に戻ってきた久蔵はこの挑戦を受けることにして、一升の杯を手にして、それを口に運んだ。

 落語というのは基本的に複数の登場人物による会話で成り立っている。一旦話が始まるとト書きをあれこれ喋るのは素人向きではあるが、ちょっと野暮でもある。また、複数の登場人物を顔の向きと表情、それに声で演じ分けねばならない。酔っ払いの表情からすぐに別の人の表情に切り替える。酔っ払いの真似もリアルでないといけない。

 私が聞いたこの落語を演じたのは三遊亭時松という二ツ目の噺家だった。広げた扇子を杯に見立て、それをあおっていく。のどが動くし、飲んでいる音を実にリアルに表現する。そして一杯飲み干し、扇子をよけて現れた顔は酔った久蔵である。杯は進み、次第に呂律が回らなくなる。あまりもの飲む演技の見事さに、五杯目の杯を飲み干した時点で客席から拍手が起きた。

 大店の主人は一杯飲むたびに驚いていき、ついに久蔵が五升飲み干したときには感嘆する。「で、そんなに酒が飲める秘訣ってのあるかい?、まじないとか?。そのあたりを教えてくれないかな。ところで、さっき表でいったい何をしてたんだい?」。

 久蔵は、「これまで五升なんて量を決めて飲んだことないので、本当に飲めるかどうか、表の酒屋で試しに五升飲んできた」と答えた。

(秀)


第1360話 〜2007/10/16〜

■夜の上海

 今日は映画の話題。「夜の上海」というのがタイトル。日中合作映画で日本での配給元は松竹。タイトルが示すとおり、上海を舞台にした話である。しかも、日本映画には珍しい、一夜を対象にした話である。邦画では時間経過が結構経ってしまう映画がほとんどである。

 主演は本木雅弘。カリスマヘアメイクアーティストで、音楽祭出演者のメイク担当として招聘され、上海にやってきた水島を演じている。一方、主演女優はヴィッキー・チャオ演じるリンシーというタクシー運転手。私はアジア系の映画は見ないので、ヴィッキー・チャオがどんな人なのか知らないが、「少林サッカー」に出ていたらしい。中国では大人気のタレントらしい。日本人に例えると、目がパッチリした中越典子といった感じだろうか。

 水島は登りつめた今の状況に何か空虚な満たされない思いを抱いている。恋人でマネージャーの美帆(西田尚美)との中も、分かれ道に差し掛かっていた。一方、リンシーはタクシー運転手として日銭を稼ぐ生活をしている。親はなく、弟と二人暮しをしている。彼女の心の支えは片思いの親友ドンドンとの結婚を夢見ることだった。

 音楽祭会場での仕事が終わった水島は何に誘われるでもなく、財布も何も持たずに一人ふらりと街に出た。裏通りに入ると、二胡を弾いている人がいたりと、大通りの喧騒とは一転してしまう。そして水島は道に迷ってしまった。そんなところに、乱暴な運転のリンシーが現れ、水島を後ろから、はね飛ばしてしまう。リンシーは水島を「送るから」とタクシーに無理やり乗せるがお互い言葉が通じない。リンシーは英語もほとんど話せない。おまけに水島はホテルの名前も覚えていないので、行き先が分からない。

 そんなとき、リンシーの携帯電話が鳴った。片思いのドンドンからである。彼は「明日結婚することになった」と言う。もちろん、リンシーではなく、別の女性とである。リンシーは気が動転し、「おめでとう」の言葉も出てこない。一番の親友で一番分かり合えてる同士と思っていたのに。

 行き先のないタクシーは、夜の上海をひたすら走る。上海のエネルギーを感じる。美しい上海の夜景と、それに映画館では、音が良いので、街の雑踏感がサラウンドで伝わってくる。途中、雨が降り出し、雷が落ちるシーンでは突然なことと大音量でのリアルさに驚いた。

 この映画のテーマは「切なさ」だと思う。ドンドンからの電話を受けたリンシーは、ドンドンに会うために職場である自動車修理工場を訪ねるが、既に彼は帰った後だった。そして、結婚式の衣装合わせをしている二人の姿を遠目に見て、涙を流す。一番の親友で一番分かり合えてる同士と思っていたのに。ただ一言、「好きだ」、「愛してる」と言えなかったばっかりに。彼女の切なさ、よく分かる。

 公開されている映画館も少ないようだが、いずれDVDになって、レンタルも出ることだろう。美しい上海の夜景と切なさに接してみてはいかがだろうか?。

(秀)


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